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【ゲーム】 「薄桜鬼」における沖田総司の”僕”は間違い?
ゲームの薄桜鬼をやっています。

DS版。。。画面あらいのう(´・ω・`)
アニメ版から入った自分には、土方以外のルートがなかなか新鮮でおもしろくもあります。
鬼が東西に分かれた理由として”関が原の戦い”がもとになったとか、歴史的な考察もそれなりに絡んでいて、けっこうやるじゃないかとか思うのですが。
沖田総司が「僕」という言葉を使うのに違和感が拭いきれません。
これはアニメを見てた時から思っていたことなのですが。。
「僕」の語源は諸説あります。
もともとは中国から来た言葉というのは当然として、古事記などにも出てくるようですが、ひろく使われるようになったのは幕末、それも長州藩の吉田松陰が広めたと言われています。
正確にはその弟子が真似るうちに広まったと考えたほうがいいでしょう。
「我々は天皇の僕(しもべ)である」という勤皇の思想から使われはじめたものであり、佐幕派である新選組隊士がその言葉を使うのはおかしい。というか誰にならって使っているのか小一時間ほど問い詰めてみたいです(誰に)
ぼくの中では沖田総司に使ってほしい一人称は「おれ」もしくは「わたし」なのですが、薄桜鬼の沖田には似合わないような気もしますね。。
ひょうひょうとした彼の性格ですから、どこかで聞きかじった言葉が単に気に入って「僕」と言ってるんだと解釈しています。
純粋な薄桜鬼ファンの方には
/\___/\
/ ⌒ ⌒ ::: \
| (●), 、(●)、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, | < こまけぇこたぁいいんだよ
| ト‐=‐ァ' .::::| \___________
\ `ニニ´ .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\
とか言われそうですが。
こういうことを調べてみるのも、歴史の裏側がちょっと勉強できて面白いですよ。

DS版。。。画面あらいのう(´・ω・`)
アニメ版から入った自分には、土方以外のルートがなかなか新鮮でおもしろくもあります。
鬼が東西に分かれた理由として”関が原の戦い”がもとになったとか、歴史的な考察もそれなりに絡んでいて、けっこうやるじゃないかとか思うのですが。
沖田総司が「僕」という言葉を使うのに違和感が拭いきれません。
これはアニメを見てた時から思っていたことなのですが。。
「僕」の語源は諸説あります。
もともとは中国から来た言葉というのは当然として、古事記などにも出てくるようですが、ひろく使われるようになったのは幕末、それも長州藩の吉田松陰が広めたと言われています。
正確にはその弟子が真似るうちに広まったと考えたほうがいいでしょう。
「我々は天皇の僕(しもべ)である」という勤皇の思想から使われはじめたものであり、佐幕派である新選組隊士がその言葉を使うのはおかしい。というか誰にならって使っているのか小一時間ほど問い詰めてみたいです(誰に)
ぼくの中では沖田総司に使ってほしい一人称は「おれ」もしくは「わたし」なのですが、薄桜鬼の沖田には似合わないような気もしますね。。
ひょうひょうとした彼の性格ですから、どこかで聞きかじった言葉が単に気に入って「僕」と言ってるんだと解釈しています。
純粋な薄桜鬼ファンの方には
/\___/\
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とか言われそうですが。
こういうことを調べてみるのも、歴史の裏側がちょっと勉強できて面白いですよ。
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